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YouTuberが影響力を行使する?メディアvsネットはどこまで行くのか?
皆さんこんにちは、足を怪我したトラベラーYutaです。皆さんは”はじめしゃちょー”や”ピューディーパイ(PewDiePie)”というYouTuberをご存知でしょうか。
はじめしゃちょーは日本のトップYouTuberhttps://www.youtube.com/watch?v=uWLLUpgWdxIPewDiePieはYouTubeのトップ。https://www.youtube.com/watch?v=lwk1DogcPmU&t=20s二人とも"YouTube”というコミュニティーを代表する存在と言えるでしょう。自分はお二人とは面識はありませんが、個人的に好きだし、動画編集や発言等、
もちろん個人差はあるものの、好きなので見ています。なんでこの二人の名前を出したのか、
今年に入り2人はメディアで叩かれたことに関して記事を書こうと思ったからです。
(ここでは二人の”騒動”については詳しく言及しません。自分の本題とは逸れているので。興味がある方はググってください。)簡単に書くと前者は”浮気騒動”後者は”人種発言騒動”でした。問題という形でメディアに出てきましたが、自分はメディアのこのYouTubeが悪い時に叩くというやり方に疑問を投げかけます。YouTubeの良いところ、YouTuberの良いところよりも
何か問題が起きてそこを集中的に叩く。
自分はこれまでもYouTubeを始めネット媒体全体に対して
テレビ、新聞等のメディアの対立の縮図には疑問です。前者については動画である程度認め、
本人も自粛等の措置を取っています。。後者は動画で自分は人種差別的ではなく、
あくまで人種差別をテーマに扱った、
それを解釈を曲げられて報じられたと動画で出しました。
(上の動画がそうです)少し時間をおいて記事を書く理由は騒動の直後は、
自分の考えがまとまりきらなかったからです。ネットで、そしてメディアで色々な議論がこの件について交わされてきましたが、
自分としては違った切り口で書く必要があると思いました。YouTubeのコミュニティーに属するものとして。まずはこの二つの騒動が日本とアメリカ(PDPはスエーデン人ですが、アメリカで人気ですね)
という比較的に社会的成熟した場所で出てきた点。こういった社会では、消費者(YTの場合は視聴者)は
常に供給側に社会的(そして文化的)に挑戦したがります。
社会的に(そして文化的な)意味を求めます。特に新しさというインパクトが。
そこは高度に差別化された世界。
二人のようなトップYouTuberにはブランドイメージというものもありますし。余談ですが、自分は大学では国際経済学を大学院では社会歴史学を専攻してきたので、
こういうのはものすご〜く興味があります。(学生時代の成績はここでは言えないけど・・w)当時は自由主義的考え方に理想を覚えミルトン・フリードマンとか読んでいたので、
企業のメセナ活動とかにも”どうかな〜”って思っていました。
今は一定の許容的見解になりましたが、
やはり明らかな租税控除を狙ったメセナにはやはり否定的にならざるを得ません。
(社会的価値の補足として。この考え方はフィリップ・コトラーの影響が強いかもw)注目するべきなのはネットという比較的”新しい”媒体に対して
テレビや新聞等の”既存の”媒体が危機感をむき出しにして
ある意味では”攻撃してきていると自分には思えるからです。なぜ媒体同士で潰し合う必要があるのか?それは(おそらく)限定されている消費者の奪い合い、(と考えているから)
そしてこれから来るべき超高度情報化社会でさらなる激化が予想されるからでしょう。
でも、共存は?
YouTuberがメディアを正面立ってから攻撃したりすることはあまり聞いたことがありません。
(もしかしたらあるのかもしれませんが・・・真正面からはあるのか・・?)新興勢力が出てきたら、既存の勢力が反対するのはどの世界でも
そして歴史上でも繰り返されてきました。
なぜ繰り返されるかというと、勢力図つまりパワーバランスが崩れることを恐れてのことでしょう。
つまり、YouTuberを始めネットで発言できる人の影響力を恐れるから。
ここで一言申し上げておきますが、自分はテレビや新聞に否定的な考えを持っているわけではありません。(もちろんテレビと新聞が全く違った媒体だということも理解しているつもりです。)自分はテレビや新聞はネットよりも社会的使命や文化的影響力が大きように思えますし、
情報の信頼度も上だと思っています。
(現時点では)それに彼らは組織で動きますから、
僕ら、ネットが真似出来ない様な人員やお金を投下することが出来、
大規模なプロジェクトも創ることが可能です。(ああ羨ましい・・違うか。)あと忘れてはいけないのが
災害時等に避難場所の伝達等。
これには、ただただ関係者の尽力に感謝するばかりです。それに、とくダネ等の真実を白日のものに晒す努力、
きっとそこには正義感や社会的使命もあるのでしょう。しかし、組織で動くが故に意思決定に時間がかかり情報伝達に遅れが出たり、
彼らも人間ですので誤報等が出ることもあります。かたやYouTuberやネットで配信する人は、
(プロジェクトの大小に応じて、組織化することもありますが)
個人で動く人が多い。
なのでより高度に自分の発言をすることが可能で、
欲求実現能力も高い。
また発信するまでに時間が短く済むことも利点です。だた、個人で発信できるので主観的になりすぎたり(ああ・・耳が痛い)
検証が短いので誤報が多いことも言えるでしょう。また余談ですが、自分はパリの同時多発テロの時に現場にいて、
ネットの(偽)ニュースでテロの翌日やその翌日、
いきなりバスやメトロ等のインフラが止まったり
レストランから客が一目散に逃げ出すといった光景を目の当たりにしました。フェイクニュースという虚偽のニュースを流す輩がいるんだそうです。そういった状況下では情報が錯綜しやすくなるので、
ネットのフェイクニュースの影響で、
正しい行動を取りにくくなってきたかもしれません。
社会が力をなくすと広告はどうなる?↓
災害時の情報伝達の話をしたので。皆さんは東方の震災時に広告が新聞やテレビから消えたのを覚えているでしょうか。
(あの時、何もできずに無力感を覚えたのはきっと自分だけではないはず。)そんな時に現地に入り報道した、
メディアの力を改めて確認しました。ですが、そのあと起こった”買い控え””広告自粛”。
これから起こった現地への経済的打撃。その後、時間をおいて
復興のために積極的にものを買うという流れがありました。
企業による社会貢献の力を再確認しましたが、
一時的に起こった”広告自粛”。
広告がつかないと資金調達に難が出るのは、
ネットもメディアも同じ何でしょうか。
(ネットの方が直撃しますが。。)そうすることで被災地に二次的・三次的被害を出すことは避けるべきと私たちは学びました。
上記で書いたんですが、
どちらの媒体も完全ではない。
故に脆弱性が出てしまう点がある。
その点を補填できるような平和的共存。
そんな未来がくればいいですね。
上記のYouTuberのお二人に対してメディアで大変な叩かれ方をしたのを見て、
色々考えさせられました。自分も結構叩かれる方なのでね・・自分は言いたいことがあって記事を書いたり、
YouTubeに動画を投稿しています。
そういえば昨日久しぶりに”口説き”動画UPしました。まだ見ていない方は是非!https://www.youtube.com/watch?v=n5v47a38eGcそれでは長文最後まで読んでくださりありがとうございます!メッセージ、DMとうはフェイスブックもしくはツイッターでお願いします!それでは失礼します!Yuta花見に行ってきました。現地から生放送しました。https://www.youtube.com/watch?v=_9FEfOgtDsA今年の日本祭りまであと一月切りました!去年の貼っておきます!https://www.youtube.com/watch?v=F3zbTRiAx04